選抜決勝(1)上甲と名電の業(カルマ)

創部2年と4日での選抜制覇。
破られることはまずないであろう怪挙を、伊予の古狸上甲正典率いる済美高校が成し遂げた。

設備はあるがOBのない、全部ひとりで教えなくてはならない環境から
すべてをスタートさせたわけで、
ここまで堅実で落ち着いたチームを作り上げたことは
やっぱり素直に凄いと感じる。

なぜ、
あの初出場優勝(宇和島東からしばらく甲子園で勝てなくなったのか。

上甲の野球の攻撃面には、運任せの要素が強い。
なにせバントが大嫌いなのである。

ちょうど10年前、智弁和歌山との94年選抜準々決勝。
2人の好投手を擁し、宇和島東は優勝候補の最右翼と言われていた。
しかし、9回まで保っていた4点のリードを一気にひっくり返され、
上甲の持っていた自信と、流れを読む「勘」は崩壊した。
以降、甲子園には数度出るものの、豪打爆発はなりを潜め、
早い段階での敗退が続く。
99年夏を最後に、宇和島東は甲子園から遠ざかった。

02年夏、上甲は済美の監督に就任。
ネームバリューで県内から実力のある中学生が集まったものの、
以降の夏の県大会では2年連続で初戦敗退。
特に昨年は選抜での大黒柱・福井がまだ主戦でなかったこと、
相手が実力校の丹原であったことも要因ではあるが、0−10の大敗であった。

しかし、秋の四国大会で0−7の劣勢から明徳義塾を破り(準決勝)、
ついに、この10年で上甲が貯めに貯めたゲージは解放された。

秋の神宮大会では、東北・ダルビッシュをコールドで打ちのめす。
これが、センバツ準々決勝の9回、真壁続投の伏線となっていた。
(この逆転劇が、あの智弁戦と同じ「9回4点差」だったことにも何かの因縁を感じる)

センバツ二回戦の東邦戦。序盤から1−0、僅少点差のしびれる展開を
当初あまり評価されていなかった「内野の守備力」でしのぎ切った。
これが準決勝・決勝の終盤でも生きた。
 

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一方、愛工大名電
ここ数年積み重ねたカルマは生半可のものではなかった。
王国・愛知から
やはり「豪打」を看板とするチームを連続で甲子園に送り込みながら、
わずかな得点しか挙げられず、いずれも1点差で早期敗退。
主砲・堂上(現中日)の暴言とうらはらな貧打ぶりは、春夏連続で爽やかな余韻を残してくれた。

捲土重来。
この春の甲子園は、十字架を背負う2者に追い風を与えてくれたのかもしれない。