天皇は俺の操り人形だぜ宣言

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2009122202000109.html

 小沢氏は先の記者会見で示した、外国要人との会見も国事行為に当たるとの認識について「憲法で規定している国事行為そのものではない」と修正。ただ「憲法の理念と考え方では、天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって行われなければならない」と国事行為に当たるかどうかにかかわらず、内閣の助言と承認に沿う必要があるとの考えを示した。

 その上で「内閣が判断したことについて、天皇陛下がその意を受けて行動なさるのは当然だ」と指摘。「天皇陛下にはまったくのプライベートはないに等しい。ご自身で自由にあっちこっちということはできず、その行動の責任を負うのは内閣だ」とも述べた。

「『全ての』天皇陛下の行為は、内閣の承認のもとでなされる」とか抜かしやがった。
日本の祭司長であり、文化、伝統、受け継がれてきたものの象徴たる人を「内閣の道具」扱いとは。

日本国憲法 
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する 日本国民の総意に基く。
第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

全く主従が逆転している。
日本国の象徴、日本国民統合の象徴として天皇は行為される。これが「主」。
内閣は天皇の行動がつねに「日本国の象徴、日本国民統合の象徴」たることを保ち、
いささかなりとも何らかの政治的意図によって偏することのなきよう「従」としてサポートする。
それゆえ憲法には「助言と承認」と書かれているんだろう。
これに対して小沢の理屈は、なるほど言葉こそ憲法の条文に即して「助言と承認」だが、「行なわれなければならない」と述べていることからして、
実質的には助言と承認の皮をかぶって天皇に何らかの行為を「強要」することを自らに許す
ものであり、
露骨な政治利用の宣言以外の何者でもない。
 
小沢一郎、まさに権力欲の権化。不快だ。不快でしかない。
  
討ち取られ、日本史に名を残す逆賊のひとりに名を連ねることになるのか。
それとも日本そのものが日本でなくなってしまうのか。
ターニング・ポイントに我々はいる。
 
年末には実家の両親(自民党にお灸を据えたい団塊世代)に「マスコミめ、民主党と結託して国民を騙したんだぜ!」と憤慨してみることにする。
配付資料として株価グラフ(7月にようやく景気対策の効果で上昇、9月以降は直滑降)は必須。あとは何見せるかな…