佐々岡ではなく浅井が刺身に

浅井樹といえば背番号36を付け顔も二の腕もいかついドラフト7位。満塁に代打を告げられれば必ず芸術的センター前ボテボテゴロでしたよ。
思い出の試合1996年
浅井が一躍セリーグを代表する「代打の切り札」として名を上げた延長戦での代打決勝弾。左翼ポール際に飛び込んだあの弾道はいまでも鮮明に覚えている。この日の斉藤隆はほとんど打てる気配が無く,まさに殊勲の一打であった。
思い出の試合1998年
玉木朋孝がカープにおいて唯一輝いた無死一二塁からの送りバント成功(内野安打)。そのあとをうけた浅井はいつものボテボテセンター前ではなく右翼席に連敗の重き鎖を断ち切るアーチを放り込んだ。
思い出の試合2001年
大乱戦の最後に,まだ浅井が残っていたときの感動。そして当然のように打った。まさに千両役者であった。
 
そして迎えた最終打席。いつものように代打を告げられ,しかし涙で打席に立った浅井のバットが生んだのは,
いつものような美しいボテボテセンター前だった。 
  
佐々岡引退撤回の裏で,4歳若い浅井がユニフォームを脱ぐ。今年の成績が芳しくなかっとはいえ,惜しい。パワーと努力と研究でドラフト下位のハンデを克服し,恐るべき代打率3割1分3厘を残した男は偉大だった。森笠・尾形・吉田は,コーチとなる浅井からそのいぶし銀の銀サンマ色の魂を受け継いで欲しい。