さらば、麗しの700系ストッパー
■河野昌人、自由契約に
当ページの思いつき企画の犠牲となったこともある
広島東洋カープのガラスの右腕・河野昌人(よわい25)が
昼行灯無能投手コーチ川端の身代わりとしてめでたく処分されることとなった。
略歴:
1996年秋 入団
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1998年 カープ高卒新人恒例、丁稚奉公(敗戦処理)の日々。
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1999年 先発で5回持たずに轟沈撃沈の連続。しかし光る1勝を挙げる。
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2000年 前半戦のストッパー不在をうけ、クローザーに抜擢。
期待の若手として、シドニーオリンピック派遣選手に。
一方で、緊張のかかる場面での連投、疲労の蓄積はヒジを確実に蝕む。
せっかくの世界舞台においても、登板はわずかであった。
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2001年 浜中へ投じた一球で全てが終わる。以降、表舞台に立つことはなかった。
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2002年 試合を壊しては罵倒される、新たな芸風を開拓。
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2003年 キャンプでの夜這い事件(東スポ一面)により
期せずしてお笑いキャラが定着。
ショックを拭いきれぬまま、二軍戦で1試合18失点のプロ野球記録を達成。
そして引退登板となった二軍優勝決定戦で勝負を決める2ラン被弾。
その方向性はどうあれ、
河野は我々に、強烈な印象を与えてくれた。
そしてプロの投手として、何人たりとも到達したことのない境地に至ることとなった。
下を向くことなく、赤いユニフォームを脱ぎ、新たな人生へ踏み出してほしい。
レッドツェッペリンはキングボンビー河野昌人の将来を応援しております。
千葉ロッテで打者転向とかしたりして。