天災と人災のサイクル(=歴史)をいかに伝承していくか

もうすこし義捐金送りました。計10万とちょいと。
東海地震が来れば次は我が身なので,お賽銭的な意味も込めて。
   
津波が来たら最終的に自分の身は自分で守れという,「てんでんこ(てんでばらばらで逃げろ)」の伝承を理解し実行し助かった人たちも多くいたという。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20110328-OYT8T00699.htm
方や,津波の撮影に行った人もいたという。
  
「大川」小学校は,その名のとおり,大河・北上川の最下流,堤防沿いにあった。
よって河口からの距離は10km弱だが,校庭の標高は数mしかない。
津波はやすやすと河口から40km先まで到達している。
地形を理解する者が防災計画担当者か,その関係する人間のなかにひとりでもいれば,校庭に集合整列するなどという避難計画を立てることはなかっただろう。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110330t11017.htm
胸が詰まる。
  
明治以降百年の津波の規模を想定し,土木技術を結集し建設された湾口の大堤防は,津波波高を10m近く弱めたという。
http://www.cdit.or.jp/magazine/vol5/p9.html
http://www.pari.go.jp/files/items/3544/File/20110401-2.pdf
それでも数十センチの差で波にさらわれた人もいたのだろう。
  
さらに遡れば1000年前の貞観津波
古文書に記されたその大災害を明らかにしようとする産業技術総合研究所・地質調査総合センターでの津波堆積物に関する長年の調査により,その全貌も明らかになり,行政に生かされるステップまであと少しだった。
http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/Tohoku/jogan_tsunami.html
緊急寄稿『地層が訴えていた巨大津波の切迫性』宍倉正展氏
ただ,この調査によっても福島県浜通りを15mもの津波が襲ったという証拠は見出されていない。
  
被災者の方々,多くの亡くなられた方々の境遇を思うに,知っていたこと,知らなかったこと,知っていても助からなかったことの不条理を思わずにはいられない。
そして,なぜもう少し,津波は待ってくれなかったのか。
準備のために,私を含む地球科学者が力を出せなかったのか。
無力を感じる。
  
兵庫県南部地震から16年,耐震技術は格段の進歩を遂げ,仙台・富士宮震度6でも多くの建物が震動に耐え多くの人々の生命を救った。
しかし津波は,あざ笑うかのように,さらに多くを奪っていった。
  
こんなクソ外道に国を任せているどころではない。


すべてが急速に,この3週間で,台無しになりつつある。
国土,人材,工業,農水産業
思いつきの現地視察のために一刻を争う現場の人員を割かせ取り返しのつかない事故を誘発し,土壌への深刻な汚染は30km域に及ばんとしている。
思いつきの大臣人事で避難所への食糧支援を妨害。
計画停電による工業生産停滞への対策も代案なく「頑張れ」「お願い」のみ。
そして問責辞任したはずの文化大革命シンパに再び権力を持たせ,言論統制を開始。情報を隠蔽し開示しない国の製品を買う海外ユーザーが居るか?
なあ,日本を滅ぼしたいのか?本気で滅ぼしにかかっているのか?
  
まず,民主党一味を表舞台から追放しないことには,
祖先が私たちに残してくれた日本を次代に受け継がせることはできない。
   
1000年前をも上回る大津波の記録,記憶,そして対策。
民主党政権という人災を,2年前の選挙で生じさせてしまった過ち。
私たちが,これから伝えていかなくてはならないものはあまりにも多い。
人の人生は,自然災害のサイクルに対しても,政治における過ちのサイクルに対しても,あまりにも短い。